2026/06/09 19:48
現在MOOLでは、
1980〜90年代のピンクビラと、
コラージュアーティスト・ゆきち氏の作品を集めたPOPUP
「ピンクビラ|欲望のアーカイブ」を開催している。
・1980〜90年代、電話ボックスに貼られていたピンクビラの現物。
・ファッション誌やアダルト雑誌を素材にした、ゆきち氏によるコラージュ作品。
ZINE、ステッカー、キーホルダー、缶バッヂ、ボックスなど。
当時の空気をまとった貴重な資料や作品が店内に並んでいる。

一見すると異なるものに見えるけれど、
どちらもその時代の欲望や美意識を記録した痕跡だ。
展示の準備をしながら、
私は何度も古いピンクビラや雑誌を眺めていた。
まず驚いたのは、
女子大生、OL、人妻といったカテゴリーが
30〜40年経った今もほとんど変わっていないことだった。
人は何に惹かれるのか。
その根本的な部分は、案外変わらないのかもしれない。

そして資料を見ているうちに、もうひとつの違和感に気付いた。
今ほど身体的特徴が語られていないのである。
細身、グラマー、ボイン
など抽象的な表現だ。
現代では、
胸のサイズ、骨格、
顔の小ささ、手足の長さ、体重まで、
身体も顔も細かく分類され、数値化され、
特徴ごとに価値が与えられている。
けれど当時の資料には、そうした視点が驚くほど少ない。
当時のエロ本を見てみると、
スリーサイズは記載されていても、カップ数はほとんど見当たらない。
Dカップというキャッチコピーや店名は見つかる。
けれど少なくとも、
現代ほど胸のサイズそのものが独立した価値として語られていたようには見えない。
もちろん、
ブラジャーのサイズ表記やフィッティング文化が、
今ほど一般的ではなかったことも影響しているのだろう。
けれど私は、別の可能性についても考えてしまう。
もしかすると当時は、胸の大きさや身体のスペックそのものではなく、
女性の裸そのものに、
今よりも強いエロティシズムが宿っていたのではないか。

写真そのものもどこか違う。
今ほど身体の一部分を強調しない。レタッチもない。
完璧な身体を作り込むというより、
そこに存在する身体を写している。
だからこそ妙に生々しい。
そして不思議なことに、
私はそこに現代の画像よりも強いエロティシズムを感じる。
大きさでもない。
数字でもない。
スペックでもない。
もっと曖昧で、もっと感覚的なもの。
人が誰かに惹かれる理由は、本来こちらに近かったのではないか。
そんなことを考えてしまう。

私が子どもの頃は、
まだ地上波のテレビで女性のヌードを見ることがあった。
大人の反応から、見てはいけないものなんだと察しつつも、
あまりにも美しい身体に目を奪われていたことを鮮明に覚えている。
今振り返ると、
あの頃はもっと表現が自由だったのかもしれない。
あるいは、
今では許されない搾取の上に成り立っていたのかもしれない。
ピンクビラもまた、
そのどちらとも言い切れない存在だ。
当時は人目を避けるように消費され、
やがて街から姿を消していった。
けれど今、
こうして眺めてみると不思議な感覚になる。
少し可愛い。少し可笑しい。
そしてなぜか、ポップアートのようにも見える。
もちろん、そこに含まれていた問題が消えるわけではない。
けれど同時に、
そこには人間の欲望や孤独、フェティシズムや憧れも記録されている。
私は搾取を肯定したいわけではない。
けれど、欲望そのものを否定したいとも思わない。
むしろ人は、何かに惹かれ、憧れ、
欲望することで文化を生み出してきた。
ピンクビラも、ファッション誌も、広告も、ランジェリーも。
形は違っても、どこかで同じ線の上に存在している。
だから今回の展示は、
エロを肯定するためのものではない。
失われた文化を懐かしむためのものでもない。
人は何に惹かれるのか。
その欲望は、時代によってどのように姿を変えるのか。
そんなことを考えるために、
私は今、ピンクビラを眺めている。
Natsuki
【ピンクビラ・欲望のアーカイブ】
2026.06.06 - 06.14

